ばんびの小屋

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不二家騒動から感じたこと

企業(生産者側)の体質に大きな問題があったことは確かだが、小売や消費者の側にも問題点が隠れているのではないだろうか?

昔、食品化学の講義かなにかで、賞味期限のことに触れた際、期限が切れても五感を働かせて自分の感覚を信じることが大切だというような趣旨の話を聞いたことがある。

牛乳のような日配品に表示されている「消費期限」は「安全に食べられる期限の目安」だが、「賞味期限」というのは「おいしく食べられる目安の期限」なのだから、何日か過ぎてしまっても全く食べられないということは無い。

それを、ほんの何日か過ぎてしまったという理由で関連する商品をのべつ幕なしに処分するというのはいかがなものか。

もったいない!!!

最近、我が家では自分たちで野菜を作り魚を釣り、穀類と鳥獣肉類、乳製品以外のできる範囲でなるべく自給自足できるような生活を送っている。生ゴミも発酵させてリサイクルしてまた肥料として使っている。

そのためか、食べ物を粗末にするなんて本当に許せないのだ!!

確かに、以前から何例もある企業の隠蔽体質、そして食の安全の軽視という側面から見れば大問題である。
最初から包み隠さずに「(消費・賞味期限切れで)ワケありなので処分特価」など公表していればこんなに大きな問題に発展しなかったかも知れない。実際にはこのような行動をとるのは至難の業であるとは思うが…

結局、ずさんな管理体制と、期限切れを知っていて誤魔化した→消費者は「騙された」という気持ちが強くなる→猜疑心が強くなり→ひいては企業全体の信頼が揺らぐ、と思うのだ。

工場で作られたお菓子などはいわば工業製品のような感覚かも知れないが、そこに至るまでの材料は命なのだ、自然の恵みなのだ。生クリームひとつとっても、牛の乳からだし、クッキーやケーキなどは小麦…いろんな命、さらにはそれを一生懸命育ててくれた農家の苦労を無駄にする行為だ。

日本で一日に廃棄される食料が2000万人分というデータもあり、そんなことをしている間にも世界中で飢えで亡くなっている人々が何万人もいるのだ。

自分ひとりの力では食料が足りない人たちに直接届けることはできない。しかし、どんなに小さなことでも無関係ではない。食べ物を粗末にしない、賞味期限が多少過ぎていても、舌で味わい大丈夫なら食べる。なるべく無駄を出さない。すべての恵みに感謝して「(命を)いただきます」の気持ちを大切にする。それが飽食の国日本に生まれた一人としてやるべきことではないか。

ここで言いたいのは、もう少し消費者に判断を委ねる部分があっても良いのでは、ということである。
今回の不二家の問題だけではない。コンビニやスーパーのお惣菜やお弁当類もそうだ。ちょっとでも期限が切れると封を開けないままゴミ箱行きだ。

企業側からすれば、お客様に万が一のことがあったら殆どの場合は企業の責任になってしまうから、一斉に処分してしまうのが一番安全だしリスクを負わなくて済む。
消費者も絶対安全の太鼓判を押された商品を心配せずに買っている。だが、舌で味わい鼻でにおいを嗅ぎ、目で見て、もっと五感をフルに働かせて自己責任で食べることも必要なのではないか。実際、消費期限内のものでも時々味がおかしいものもあるものだ。それに、自分が賞味(消費)期限内に買って何らかの理由で期限が切れてしまった場合でも、多くの人が食べるという選択をしているのではなかろうか。

その辺りを他人のせいにしてその結果体調がおかしくなれば医者や薬頼みだ。ノロウイルスやO-157で苦しんだ方がいるのも事実でそういう方には申し訳ないが、下痢などの症状が出た場合は下痢止めの薬で抑えるなんて自殺行為なのだ。せっかく自分の自然治癒力が働いて悪いものを一生懸命体外に出そうとしてくれているのに無理矢理薬で抑え込むのだから。

もっと自分を、自分の免疫力、自然治癒力を信じてみればいいのに。それが信じられないというのならもっとそれらを強くする努力をすれば良い。そうすれば、たとえちょっと変なものを口に入れたとしても、即座に身体は毒を排出してくれる。

他人任せの食事選びが他人任せ・無関心の社会の風潮につながっている気がしてならない。「食の乱れは国家の乱れ」とはよく言ったものだ。大げさなように聞こえるが、これは結構核心をついていると思う。
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by bambi-boo | 2007-01-18 16:33 | ひとりごと